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株式会社星光

革新的な製品は、失敗から生まれる!

テーマはズバリ「行先案内表示器」!
通勤、通学、おでかけ・・・駅を使う人の毎日に当たり前のように存在していますが、その正体(!)を知る人は少ないのでは?実は、あの“ハコ”の中に星光の長い歴史とすごい技術、そしてものづくりにかける思いが詰まっています!その全てを知る代表取締役と取締役のお2人が語ります。

  • 代表取締役

    岡村 忠明

    2007年に中途入社。プログラマーとして数々の駅の表示システムに携わる。各部署を経験し、2017年に代表取締役就任。

  • 取締役・開発部本部長

    坂東 広喜

    1987年入社。デザイナーとして入社。営業を経て現職。昭和終わりから令和まで行先案内表示器の技術的な変遷と共に歩んできた。

技術革新を恐れず、さまざまな行先案内表示器が生まれた理由

  • 岡村 忠明:当社の主力事業である旅客案内システムでは、駅にある「行先案内表示器」を作っています。当たり前のように皆さんの生活の中に溶け込んでいますが、実は進化がすごいんですよね。

  • 坂東 広喜:はい、時代とともに進化してきました。私が入社した1987年は、フィルム式から反転フラップ式への転換期。反転フラップ式は「パタパタパタ・・・」と文字が書かれた薄い板がめくれていく懐かしのアレです。その後、90年代にはLED式に移行し、現在では最新の液晶(LCD)式に至っています。

  • 岡村 忠明:私は、LED時代の終わりごろだった2007年にプログラマとして中途入社しました。LEDから液晶(LCD)への移行は、鉄道会社さんの強い要望で始まったんですよね。液晶タイプは視認性も良く、多言語表記など多くの情報を表示することができます。技術的には難題でしたが、お客様の「どうしても」という熱意に応える形で、液晶の開発に踏み出しました。

  • 坂東 広喜:直射日光に弱く明るさも低かった液晶を屋外でもなんとか使えるものにしようと、会社の屋上で1年間実験を重ねました。どこよりも早く屋外で使える液晶表示器を開発できたことで、何百もの駅への納入につながりました。この技術は今でも多くの鉄道会社から高い評価をいただいています。

  • 岡村 忠明:少し専門的な話になってしまうのですが、ソフト設計面の変遷でいうと、私が入社した当時、各駅のOSはまだまだMS-DOSが多くて戸惑いました。学生時代からWindowsに慣れていたのでアイコンのないUIには苦労しました。今ではほとんどWindowsに移行していますけどね。

開発力の源はものづくりしやすい社風にあった!

  • 坂東 広喜:「新製品の開発は、失敗の上に成り立つ」というのが当社の考え方。だから、液晶表示器に関しても、自信を持ってというと変ですが、たくさん失敗してきた。開発中はいくつも液晶を潰しました。あんまり社長には言えないけど…。

  • 岡村 忠明:いや、その話は僕も当時現場にいたので知ってます(笑)。

  • 坂東 広喜:当時の液晶って掴むだけで簡単に割れちゃうんです。社員たちはそれはもう、たくさん割ってくれましたね。箱から出す時に割って、直射日光で壊して。でも、自分たちの手で失敗を積み重ねたからこそのノウハウが今も残っています。そこが一番の強みですね。

  • 岡村 忠明:失敗も成功もある中で、開発現場が和気あいあいとした雰囲気でいることができたのは、ものづくりを愛する社員が多かったからだと感じています。現在、社員の平均勤続年数は11年ですが、50歳代の中途入社も多いので実際には定着率はもっと高いです。

駅に合わせてデザインもオーダメイドで

  • 坂東 広喜:駅ごとに構造や乗降客数、止まる電車も違うので、行先案内表示器は駅に合わせた設計が必要です。だからアフターケアも個別対応になって大変ですが、ベースは共通化を図りつつ、目に見える部分はほぼオーダーメイドで対応しています。

  • 岡村 忠明:デザインにも工夫を凝らしていますよね。某駅にはアクリルガラスを使って、鉄道会社のロゴが浮き上がる工夫もありました。ああいうデザインはうちしかやっていないんじゃないでしょうか。

  • 坂東 広喜:私が営業を担当した駅ですね!リニューアルした駅がアクリルガラスを多用していたので、馴染むようなデザインにしました。ロゴの部分は当初提案したデザインでは目立ち過ぎるという反応だったので、見る角度によって浮かび上がるようにしたんです。ちょっとした遊び心ですね。

駅の設備に関わる仕事の魅力とは?

  • 岡村 忠明:自社で開発をしていること、駅ごとにオーダメイドしていることなど、やりがいを感じるポイントはたくさんありますが、一番は、自分の作ったものが公共の場に残るところだと思うんです。

  • 坂東 広喜:まったくその通りだと思います。私なんか20代の頃、入社したての頃のデザインが今でも駅に残っていて、見かけるとちょっと照れくさいですよ(笑)。「そうそう、こんなの作ったな」って。

  • 岡村 忠明:僕は自宅の最寄駅に自分の作った表示器があるので、娘によく話しています。

  • 坂東 広喜:ゼロから考えたデザイン案をお客様にプレゼンし、それを作って駅に設置する。そして「良い物ができましたね、ありがとうございます」と反応をいただく時に喜びを感じます。製品に自分の意見を反映させられるのでね。その点は部署が違っても、本質は同じだなと思います。

ミニチュアが即完売!今も愛される懐かしの製品

  • 坂東 広喜:製品が長寿命なので利用者の思い出に残るのも嬉しいところで、80年代に導入したパタパタと回転する反転フラップ式行先案内表示器は、今も約20駅で現役です。うちで8分の1サイズのミニチュアを製作したところ、ありがたいことに即完売しました。

  • 岡村 忠明:坂東さんが音にもこだわり抜いて作った商品ですね。いくつかの鉄道会社さんで個数限定で販売しました。「もっとたくさん作って!」という声も多かったですね。

  • 坂東 広喜:テレビの取材もありましたし、鉄道ファンの方の間で話題にしていただいているようです。

  • 岡村 忠明:手作業で仕上げているので数百個単位でしか作れないのが歯がゆいですが、反転フラップ式が愛されていたことがわかりますね。

採用したいソフトウェア開発者とは?

  • 岡村 忠明:今求めている人材は、開発本部で働くソフトウェアプログラムの開発者です。

  • 坂東 広喜:そうですね。表示器はアプリケーションソフトなど、ソフトウェア開発の比重が大きい。ものづくりに熱心な人材を求めています。

  • 岡村 忠明:そこは一番大事ですね。技術職は好きじゃないと上達しない職種だと思います。プログラミングが好きで、自分からどんどん調べていくような開発者が理想です。理系出身者が多いですが、僕自身も文系出身ですし、未経験から採用することもあります。

  • 坂東 広喜:現在の開発部部長も文系出身のプログラマですしね。

  • 岡村 忠明:彼は元々広告営業部にいたのですが、ものづくりがしたいからと部署を異動して、コツコツ開発を続けるうちに部長にまでなりました。お客様からの信頼もあつく、すごく活躍してくれています。

技術力を高めるには、ノウハウの蓄積も重要

  • 坂東 広喜:大阪と東京に拠点がありますが、転勤は基本的になく、開発・技術部門は大阪に集約しています。少人数で多岐にわたる仕事を手がけていて、逆にいうと1つの仕事を全員が共有できます。ノウハウを社内で蓄積できている点も強みですね。

  • 岡村 忠明:使命を終えつつある反転フラップ式行先案内表示器のような製品も、回収した部品を再利用するなどして長く使います。製品の寿命が長いからこそノウハウの蓄積が重要で、開発者にとっては新旧の技術を学べる環境でもあります。

  • 坂東 広喜:そうですね、大企業では転勤や異動で人材が流動しやすく、技術が散逸しやすい傾向があります。うちは資本金や研究開発費では大手に劣るかもしれませんが、少人数ならではの知識の共有と伝承が強みです。合わせてデジタルツールを活用したノウハウの記録なども行っています。

業界のトレンドとこれからの展望

  • 岡村 忠明:広告プロモーション事業のほうは、車内広告はコロナ禍の打撃とWEB広告の台頭でふるわず、依然厳しい状況ではありますが、当社の場合、広告事業の売上は看板広告(駅の壁面にある看板)がほとんどで、売上は安定しています。

  • 坂東 広喜:タイアップ広告の方は、昔は時刻表から時計、ベンチ、ダストボックスと媒体が多様でしたが、近年は減りつつありますね。鉄道会社さんからすると保守・管理が人任せになる点と、スッキリとしたデザインの駅が好まれる中で広告で情報が増えることがネックのようです。

  • 岡村 忠明:一方で行先案内表示器は、LEDから液晶(LCD)への更新を待つ駅がまだまだ多いです。インバウンド対応で多言語化が進んでいますが、液晶は高精細で文字が潰れないので、その点でも需要は大きいです。表示器を置く場所も時代の流れで変わっていくかもしれませんね。今後の新しい展開の可能性を感じてワクワクしています。

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